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生物言語学の展開

生物言語学の展開 -生成文法から見た言語発生の諸問題-

論文 by 藤田 耕司

http://www.origin-life.gr.jp/3102/3102j.html
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wiki info

Biolinguistics is the study of the biology and evolution of language. It is a highly interdisciplinary field, including linguists, biologists, neuroscientists, psychologists, mathematicians, and others. By shifting the focus of investigation in linguistics to a comprehensive scheme that embraces natural sciences, it seeks to yield a framework by which we can understand the fundamentals of the faculty of language.

生物言語学(せいぶつげんごがく、biolinguistics)は言語学において認知科学や生成文法に近しい学派が行っている研究。神経科学・生物学と生成文法で仮定されている言語能力とを結びつけ、脳科学・生物学の知見によって言語能力の存在、機構、起源などを解明しようと試みている。

Origins

The biolinguistic perspective began to take shape half a century ago, among the linguists influenced by the developments in biology and mathematics.[1] Eric Lenneberg’s Biological Foundations of Language remains a basic document of the field.[2] In 1974, the first Biolinguistic conference was organized by Massimo Piattelli-Palmarini, bringing together evolutionary biologists, neuroscientists, linguists, and others interested in the development of language in the individual, its origins, and evolution.

Developments
Recent work in theoretical linguistics and cognitive studies at MIT construes human language as a highly non-redundant species-specific system. Noam Chomsky’s latest contribution to the study of the mind in general and language in particular is his minimalist approach to syntactic representations. This effort to understand how much of language can be given a principled explanation has resulted in the Minimalist Program. In syntax, lexical items are merged externally, building argument representations; next, the internal merge induces movement and creates constituent structures where each is part of a larger unit. This mechanism allows people to combine words into infinite strings. If this is true, then the objective of biolinguists is to find out as much as we can about the principles underlying mental recursion.

Hypothesis
It is possible that the core principles of the language faculty can be correlated to natural laws (such as for example, the Fibonacci sequence — an array of numbers where each consecutive number is a sum of the two that precede it, see for example the discussion Urigereka 1997 and Carnie and Medeiros 2005).[4] According to the hypothesis being developed, the essential properties of language arise from nature itself: the efficient growth requirement appears everywhere, from the pattern of petals in flowers, leaf arrangements in trees and the spirals of a seashell to the structure of DNA and proportions of human head and body. If this law applies to existing systems of cognition, both in humans and non-humans, then what allows our mind to create language? Could it be that a single cycle exists, a unique component of which gives rise to our ability to construct sentences, refer to ourselves and other persons, group objects and establish relations between them, and eventually understand each other? The answer to this question will be a landmark breakthrough, not only within linguistics but in our understanding of cognition in general.

Critics
David Poeppel, a neuroscientist and linguist, has noted that if neuroscience and linguistics are done wrong, there is a risk of "inter-disciplinary cross-sterilization", arguing that there is a Granularity Mismatch Problem, as different levels of representations used in linguistics and neural science lead to vague metaphors linking brain structures to linguistic components. Poeppel and Embick also introduce the Ontological Incommensurability Problem, where computational processes described in linguistic theory cannot be restored to neural computational processes. Poeppel suggests that neurolinguistic research should try to have theories of how the brain encodes linguistic information and what could be cognitively realistic computation.

People in biolinguistics
David Poeppel, University of Maryland
W. Tecumseh Fitch, University of St. Andrews
Marc D. Hauser, Harvard University
Philip Lieberman, Brown University
Derek Bickerton, University of Hawaii
Kenneth Wexler, MIT
Ray C. Dougherty, New York University (NYU)
Alec Marantz, NYU/MIT
Andrew Carnie University of Arizona
Charles Reiss, Concordia University
Michael Arbib, University of Southern California


http://en.wikipedia.org/wiki/Biolinguistics

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E7%89%A9%E8%A8%80%E8%AA%9E%E5%AD%A6

「言語の種」/UG

「言語の種」/UG

ヒトの幼児は健常児ならだれでも、それが日本語であれ英語であれアラビア語であれ、何らかの自然言語を生後かなり早い段階で母語として獲得します。この言語獲得のプロセスはなかなか驚異的なもので、たとえば語彙の数を見てみても1日10語とか20語とかいうペースで覚えていくらしいし、また数量化しにくいながらも文法的知識の獲得もかなりハンパないスピードで進みます。しかもこのすごい言語獲得能力というのはどうやら人類に共通・普遍のものであるらしく、どういう人種の両親から生まれた赤ん坊をどういう言語を話すコミュニティーに連れて行っても、およそそこで話されている言語が自然言語の体をなしていさえすればきちんとその力を発揮するものらしい(ピジン語とクレオール語の問題なんかが示すように、実は刺激として与えられる言語が自然言語である必要すらない)。言語以外の認知能力に関してはまだまだ発達していない生まれたての段階でも、この言語獲得能力だけはもう最初の最初っからフルスロットル・アクセル全開で動き始める。というか、もっと言えば、ヒトの幼児は、どういうわけか生得的に、遺伝子のレベルで決定されているくらいのあがらいがたい本能、アクセル全開で言語を獲得し始めるようなプログラムを与えられている。彼らは言語を獲得するよう生得的に運命づけられている。

ただしこれはヒトにのみ与えられた運命・本能・プログラムですよね。たとえばどっかの花子ちゃんがいてその子が周りで話されてる東京弁を母語として獲得しているとして、仮にその花子ちゃんが猫のタマちゃんや犬のポチくんやオウムのソボロくんみたいなペットと生まれてこの方ずーーっと一緒にいたとして、そういうペットたちがたとえ花子ちゃんと一字一句にいたるまで全く同じな言語刺激を花子ちゃんの周りの大人たちから与えられていたとしても、結果花子ちゃんは東京弁をしゃべれるようになるけど、タマちゃんもポチくんもソボロくんもそんなことは絶対にできるようにならない。その事情は花子ちゃんを他のどんな子供におきかえても変わりませんし、またタマやポチなんかを他のどの生き物に置き換えても変わりません。ヒトは誰でも少なくとも1つの言語を話せるようになるけど、ヒトでない生き物は誰もヒト言語を操れるようにならない。

でまあ、そうだとすると、どういうわけだかはしらないが、言語獲得を可能たらしめる何らかの特別な能力、いわば「言語の種」のようなものが、どうやら生得的に、ヒトという生物種のみに与えられているらしい(そしてそれは他のどのような生物種にも与えられていないらしい)ということが簡単に結論づけられるわけですね。仮にこれを慣例にならって「言語生得説」と呼ぶことにしましょうか。

言語生得説に基づき、「言語の種」の内実、およびそれが適切な言語刺激を通して成人の文法知識に発達していく過程を研究する分野がbiolinguisticsです。ヒト言語に関する生物学的研究(biological study of (human) language)ということですね。この呼称の前は生成文法(generative grammar)なんていう呼ばれ方もしてましたが、基本的には同義語と観て差し支えないと思います。ちなみにbiolinguisticsって用語ですが、上智大学の福井直樹先生が正しく指摘するように、これ結構日本語に訳すのが難しいんですよね。生物言語学とやるとまるで「生物の(生物を対象とする、生き物である、etc.)言語学」のようになってしまって正確ではありませんし、「言語生物学」とやってもなかなかしっくり来ないわけです(やっぱり生物学というよりは(生物学的観点を持ち込んでいるような)言語学ですし)。福井先生が悩んでいるとおっしゃるので、一回

「ヒト言語学」というのはいかがでしょうか。カタカナ表記で「ヒト」とすることでhumanの生物種としての側面を強調し、かつその種に属する生物学的自然科学的対象であるところの言語を対象とする点をも強調し、また「生物言語学」に見られるような「生物の/生物を対象とする言語の学」という類の無駄なconnotationもなんとなく省けているような気がします
というようなことを個人的にメールで提案させていただいたことがあったんですけど、

うーん、言っていることは分かるし悪くはないと思うけど、ちょっとあまりに 原語と離れてしまうような気がする。訳語というのは、日本語の表現として自然で意味を成すと同時に、(原語=英語が出来る人にとっては)原語が自然に 思い浮かぶようなものが理想だと思うんだけど、「ヒト言語学」と聞いて-- human linguisticsでなく--「biolinguistics」という英語表現を思い浮かべ る人は何人いるだろうか・・・
ということでしたね。なんかいい訳語ないですかね、皆様。

さて、言語生得説。普通に考えたら、はっきりいってこんなの説と名付けるのもおこがましい。ヒトのみが言語を操り人以外のどの生物もそう出来ない以上、ほとんど自明の理である。しかし、ノーム・チョムスキーが1950年代に現代言語学を立ち上げて言語に関する生得説を正しく指摘し、言語研究は本質的に生物学であり、この言語の種をその中心的な研究対象として扱う学問(=biolinguistics)であるべきだ、というこれまた今聞けば当たり前のようなことを言ったとき、言語生得説は多くの心理学者や哲学者によってなにやらものすごく胡散臭い仮説のように受け止められたらしい。結果大々的に「生得説論争」なるものを巻き起こしたという歴史的事実がその辺の事情を物語っています。しかし、繰り返して言いますが、言語を操るというのがヒトのみに与えられた能力である以上、言語の生得説自体は自明の理です。


 なにが自明ではないかと言うと、実際にその生得的なメカニズムが存在することそのものではなくて、その生得的に存在するメカニズムがどの程度ヒト言語に特化した豊かな内容を持っているのか、ということです。たしかに、チョムスキーが言語生得説という当たり前のことを当たり前のこととして提示したとき、チョムスキーや彼の同僚たちが実際に行っていた具体的な言語の文法知識のモデル(変換文法/transformational grammarといいます)はそれはそれは複雑なものでした。従ってその知識の獲得を可能たらしめる「言語の種」の理論(UG, universal grammarと言います)もかなり奇妙で複雑なものにならざるを得ず、当時の多くの心理学者とか哲学者の目にはそんな変なものが「生得的に」ヒトの脳に備わっているなんて仮説は実に滑稽であり、当然破棄されるべきなものとして映ったと、そういうことなんです。(とはいえこれは5,60年前の話ですから、その間に言語理論はものすごい転換を遂げましたし、今はその限りではありませんが。)

ところで、ヒトはいろいろな観点から見て実に「頭がイイ」。ヒトしかしゃべれないっていうだけじゃなく、ヒトしか船を操縦できないし、ヒトしか寿司を握れないし、ヒトしか買い物ができないし、ヒトしか人工的にモノを発明したりもしない。ヒトが自らの経験を通して「人間的に」学び、考え、行動するということ、そういうことが一切ヒト以外の生物には不可能だということ、どちらも実にあからさまな事実ですね。よってヒトは何らかの学習能力、経験を通して人間的な知識を発達させる能力を、ヒト特有のそしてヒト共通の生得的な能力として与えられていると考えるより他ない。一応そんなような能力をとりあえず一般学習能力とでも呼んでおきましょうか。それは確実にある。

ここで問題です。「言語生得説が仮定すべき「言語の種」/UGは、その実一般学習能力そのもであり、そこになんらヒト言語に特化した内容を仮定する必要はない」といえるでしょうか。答えは間違いなくノーです。

考えてみれば、確かにヒトしか船を操縦できないし、ヒトしか寿司を握れないし、ヒトしか買い物をできないし、ヒトしか人工的にモノを発明したりもしないですが、しかしヒトがヒトである限り全員すべからく船に乗ったり寿司を握ったり買い物をしたりモノを発明したりするようになるわけじゃありません。ヒトは一般学習能力を駆使して色々なことがやれる、しかしどうやらそのどれもやってもやらなくてもいいくらいの自由は与えられている。

しかし、ヒトは言語を獲得してもしなくてもいいくらいの自由を与えられているでしょうか。そうは問屋がおろさない。言語を獲得するというのは、どうやらヒトがヒトとして生を受け生きることその中のもはや生物学的必然であるらしい。重度の言語障害は別として、およそヒトは言語を学ばないわけにいかない。ヒトの遺伝子プログラムが不可避的にそれを要求するのである。言語のみに関して。だとすると、言語の獲得のみを強制し制御するような生得的メカニズム、「言語の種」がやはりなければいけない。

その上で、それじゃあどの程度「言語の種」の負担を一般学習能力のようなものが助けているかということに関しては勿論いろいろな可能性がある。一般学習能力が船出をする上での船くらい言語獲得にとって欠くべからざるものであるかもしれないし、ないし(少なくとも僕にとっての)牛丼の紅生姜やカレーの福神漬くらいあってもなくてもいいものかもしれない。

そこら辺の実際の事情を調べるのがbiolinguisticsのひとつの目標であるわけです。であるからして言語学者=biolinguistは、実際の言語獲得の事実や成人の文法知識の内実を実験的に調査することを通して、「言語の種」の内容にあれやこれやと思いをめぐらしているわけです。

まあいずれブログで紹介していける部分については紹介していきたいですが、biolinguistics、生成文法が過去60年を通して積み重ねてきた研究成果というものはそれはそれはなかなか目をみはるものがありまして(くだらない研究も(ものすごく)多いんですけど)、この「言語の種」は、少なくとも言語学の素人さんが思い描くよりも相当程度豊かな内容を持っていなければいけないってことがわかってきてます。もちろんこれは不思議なことで、なんでヒト(の脳)にのみこんなに面白い内容を持ったモノが出現するんだろう、その出現を支える遺伝子的な情報は何なんだろう、そんな遺伝的特性がどのようにしてヒトの進化の過程で生まれたんだろう. . . 、と、いろんな疑問は尽きません。

だから言語学は面白いんですね。
Posted by Hiroki Narita at 8:02 PM
Labels: 生物学, 科学, 言語学



Reference: http://biolinguist.blogspot.com/2010/06/ug.html
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